香肌峡

kahada

香肌峡

私たちがお茶を作っている三重県松阪市飯南町、そのお隣の飯高町、この櫛田川上流部約40キロメートルの渓谷を香肌峡(かはだきょう)といいます。空気や水がきれいで、昔からお茶やしいたけ、アユなど、香り高い産物に恵まれていたことから名付けられたといわれています。

香肌峡は、紀州藩にとって重要な和歌山街道沿線に発展し、伊勢神宮詣でや産業の流通区域として栄えました。今では大阪・奈良と松阪・伊勢を結ぶ観光道として、登山やハイキング、サイクリングなど、アウトドアを楽しみに訪れる方も増えています。

色とりどりの四季

起伏に富んだ岩肌を連ねる櫛田川。その川筋にはサクラ・ツツジ・モミジ等と四季折々に色模様を添え、景観豊かな渓谷美をつくりだしています。

Spring

樹齢400年の春谷寺エドヒガン桜が淡いピンクの花を咲かせ、ツツジの名所として知られる荒滝不動尊や富士見ヶ原では山全体が深紅に染まります。

樹齢400年の春谷寺エドヒガン桜
富士見ヶ原のツツジ

Summer

櫛田川でBBQや川遊び。国分伝説の珍し峠を歩いて森林浴。マイナスイオンをたっぷり浴びて、自然のエネルギーをいっぱいもらえます。

樹齢400年の春谷寺エドヒガン桜
富士見ヶ原のツツジ

Autumn

飯南高校ハナノキや深野だんだん田のライトアップなど、写真を撮りに訪れる方が増えています。味・香りがよく肉厚なしいたけは道の駅でのお土産に人気です。

樹齢400年の春谷寺エドヒガン桜
富士見ヶ原のツツジ

Winter

関西のマッターホルンと呼ばれる高見山。冬は樹氷・霧氷が美しく登山者で賑わいます。市指定天然記念物のサザンカの大木は毎年枝いっぱいにピンクの花をつけます。

樹齢400年の春谷寺エドヒガン桜
富士見ヶ原のツツジ

香肌峡とお茶の歴史

伊勢茶発祥の地

伊勢茶とは、三重県内で生産されたお茶のことです。地域ごとに特色があり、ここ飯南・飯高などの中南勢地域では、まろやかでコクのある「深蒸し煎茶」が、鈴鹿・四日市などの北勢地域では香り高く旨味のある「かぶせ茶」が主流となっています。

川俣谷(かばただに)、現在の櫛田川上流部

川俣谷(かばただに)
現在の櫛田川上流部

伊勢茶の歴史を辿っていくと、室町時代の書物に「中国から渡ってきたお茶の実で茶園を造り、伊勢川上(他三ヶ所)に分植する」とあります。伊勢川上は雲出川上流部~櫛田川上流部付近と言われていて、櫛田川上流部つまり飯南町・飯高町のあたりです。この地域は当時は川俣谷(かばただに)と呼ばれ、鎌倉時代から茶山(当時は山の傾斜に植えられていた)があったと記されています。この川俣谷のお茶が、江戸時代初期に伊勢商人の手で「伊勢茶」として全国に売られるようになりました。

徳川吉宗公に献上

川俣谷は元和五年(1619)に紀州藩松坂領となり、紀州藩の茶処として特別な保護を受け、徳川八代将軍吉宗公に川俣茶を献上したことで一躍有名になりました。

最初の日本茶輸出

輸出茶箱の英字ラベル(明治時代)

輸出茶箱の英字ラベル
(明治時代)

安政六年(1859)、日本は函館・横浜・長崎の三港を開き、外国との貿易が本格的に始まりました。当時、日本からの輸出品は、生糸・お茶・菜種油などの農産物が主で、特に生糸とお茶は国を挙げて奨励しました。最初の日本茶輸出量は40万斤(約240トン)でその殆どが伊勢茶であり、この伊勢茶は川俣谷茶が中心でした。

お茶発展の立役者

竹川竹斎(たけがわちくさい)

竹川竹斎
(たけがわちくさい)

射和村(いざわむら:現松阪市射和町)の竹川竹斎は、若くして中央政界に通じており、特に勝海舟とは親交厚く情報を得ていたため、来るべき開国に備え、生糸やお茶が輸出品として需要が見込めることを見越しておりました。「開墾茶桑園図帳」を発起し、農民に原野を開墾し、桑や茶を植えることを勧めました。そして川俣茶を買い集め、江戸の伊勢商人に送り販売し、また横浜に送って外国商社にも売り込みました。竹斎の尽力があって、茶業は大いに繁栄しました。

大谷嘉兵衛(おおたにかへえ)

大谷嘉兵衛
(おおたにかへえ)

飯高郡谷野村(現松阪市飯高町)の大谷嘉兵衛は、19歳の時に横浜の製茶業に奉公にいき、24歳でスミスベーカー商会の製茶買受人となり、商才を発揮します。その後日本紅茶株式会社を設立、横浜商工会議所会頭、日本貿易協会会長に就任するなど、生涯を通じて日本茶業の振興に力を尽くします。また、明治中期、米国のフィラデルフィアで開催の「万国商業大会」に日本代表として出席し、当時日本茶の地位が低く、高い関税をかけられていたのを、マッキンレ―大統領と会見し、茶の関税撤廃に成功しました。

現在の深蒸し煎茶へ

戦後一旦はお茶の勢いは衰えたものの、昭和43年、農業構造改善事業により基盤整備が行われると、茶産業は一気に昔の勢いを取り戻しました。

朝の飯南地域の茶畑 晩の飯南地域の茶畑

朝晩の温度差が激しい
飯南地域の茶畑

当時飯南郡内で生産されるお茶の約7割が茶問屋「老松園」へ出荷されており、その多くが関東方面へ出荷されていました。関東の水でも美味しく飲めるようにということで、製茶の工夫や改良が行われ、土地の気候に合った「深蒸し煎茶」が作られるようになりました。飯南地域のような山間部は、朝晩の温度差が激しく櫛田川が生む川霧に恵まれていることから、肉厚の良質な茶葉が育ち、深蒸しにするには適していました。

このように、京都や静岡に比べるとあまり知られていない伊勢茶ですが、実は古くから活躍してきた歴史あるお茶です。こういった背景や歴史も感じつつ、日本の伝統である「お茶」を楽しんでいただければ幸いです。


参考資料:
「香肌峡 70BRIDGES」松阪西部商工会
「伊勢茶発祥の地 川俣谷のお茶」高瀬孝二著
「三重ブランドストーリー 伊勢茶」三重県農林水産部
「大谷嘉兵衛資料館」茶王 大谷嘉兵衛の会
「飯南地域の深蒸し煎茶の歴史」松阪市茶業組合

写真提供:
飯南地域振興局
三重フォトギャラリー https://photo.mie-eetoko.com